「燦々」/ カネコアヤノ単独演奏会

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歌っていないと死ぬのかと思った。
小さくポツンと、遠いステージで燃えている。
影が伸びる。
太陽が昇って沈むように光がまわる。
車窓の景色が流れていく。

たたかいつづけている。彼女。
たたかいつづけていたいと。

カネコアヤノ単独演奏会「燦々」


2019.9.5

「群れたち」/ 劇団排気口

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「好きになるって普通じゃない」


笑いの起こるコメディ節から、ハッとさせられる哲学的な台詞まで。
セックスに始まり、おしっことかうんことかって言葉が飛び交う。
それは普段使うことを避けたり、恥ずかしがったりしてしまうのだけど、
よく考えたらものすごく身近で、誰でも知っている言葉、行為だなと改まる。
私たちが存在していることと、セックスはだいたいおんなじことだ。
好き ということも。

世界にありふれていることに疑問を持つことをよく考えさせられる舞台だった。
ちょっとした言葉の使い方とか、その言葉の持つ意味とか、
口には出さないけど思っていることとか。
好きなもののことをなんで好きなんだろうとか。誰かにあったら聞いてみようとか。

好きだから、のあとに続く言葉は幾らでもあって、
むしろ言葉で言えないことの方がたくさんあるような気がして。

後から振り返ったら間違ってるような、恋だとか愛だとか、そんなもんを眺めながら、
桜が綺麗だねとか、4月も終わるねとか、そんなことを言いながら、
結婚したよとか、子供が産まれたよ、なんていう報告をときおり聞いて、
私もどこかの群れの中、あーだこーだと暮らしていく。


たぶん。




2019.4.20
高田馬場 プロト・シアター

ラストアイドル「好きで好きでしょうがない」

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「ラストアイドル」(というエンターテイメント)を知っているだろうか。
アイドルになりたい少女たちが、まさに、たたかう日本のテレビ番組である。


アイドルが大好きでアイドルになりたい
地方アイドルをやっていたが解散してしまい諦めきれない
社会人になるかならないかでアイドルを選択した
年齢も境遇もバラバラの少女たちがひとつの目的に向かい
同じステージで共鳴し、踊り、歌い、喜び泣いて、青春を燃やしては輝いている。

当初、7名だけしかアイドルとしてのデビューはできないというコンセプトであったが
最終的には敗退した子たちも別ユニットとして活動することになった。

「好きで好きでしょうがない」は、第一期のラストアイドルメンバーが集ったMVだ。
アイドルになりたくて、アイドルになることができた。
その少女たちがフイルムに焼き付けられ、いままさに命を燃やしている。
10代という時間と青春を犠牲にしてでもそれでもアイドルになりたかった少女たち。

夢は叶い、いま、踊っている。歌っている。
憧れ、羨望、いろいろな感情を糧にして、
見えないところで、表舞台を目指して、レッスンに励む少女たちを
見逃すことができなかった。


この映像を見終わった後、スタッフ欄をみて
全くもって納得してしまった。

山戸結希
彼女もまた。





Fighter

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孤独な人が好きだ。


ひとりでたたかっていて
誰のものにもなっていなくて
いつも必死で目の前のことに全力で
誰かに愛されたくて

何かに飢えていて
諦められなくて
全力で命を燃やしている。


空白に埋まるもの。
それはあなたが決めていい。



『カンビュセスの籤』自分勝手考察

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藤子を知っている人ならば言わずもがなの名作
『カンビュセスの籤』。

私が藤子短編集をはじめて読んだのはおそらく中学生の頃。(2002年頃)
『ドラえもん』をはじめ藤子作品は小さい頃から親しんでいたが
この短編集にであったときは今まで知っていた藤子作品とは違う
なにやら新しいものを見つけた気持ちで嬉しく、ワクワクしていた。

作品に描かれている時代よりもはるかに未来を生きているのに
すごくしっくりくる。

とはいえ中学生の私にはよくわからない作品も多かった。
その一つに『カンビュセスの籤』というものがある。


作品の概要は、至る所で丁寧に紹介されているので省略する。

この作品、はじめて読んだときは私は??という感じだった。
おそらくカニバリズムという概念もなかったし、
テーマに対して深く掘り下げるような情報を持っていなかったのだと思う。

歳を重ねて、読み返した時にラストシーンを読んで衝撃が走った記憶がある。

この作品は、歴史的な出来事を題材に、
なぜ人は争うのか、なぜ生きたいのか、生きるために必要なこと(衣食住・環境)、生きることへの執着、
テーマはひとつではないが
史実とSFを混ぜて、生き延びたいというエゴイズムを描いている。

そしてラストシーン。
裸になったエステルが「ミートキューブの作り方はね・・・」
と笑顔で男に説明をするシーンで終わる。

そう、そこでこのお話は終わる。

なるほど、と私はいろいろと納得した。
エステルが「ごめんなさい、ひげは好みじゃなかったの」とか
男の胸を借りておいおいと泣いたり、嫌いな人に食べられなくてよかったわ、とか言ったり。

このお話が男と女であった意味も
あそこで物語が終わる意味も
私の考えはひとつの結末に集約してしまった。

「ミートキューブの作り方はね・・・」は
「人(赤ちゃん)の作り方はね・・・」と
置き換えられるのではないか・・・。

その思ってこのラストシーンをみると本当に鳥肌が立つというか
ハッとさせられてしまったのだった。

例えばこのお話は、
男が泣きながらエステルのミートキューブを食べているシーンで終わってもよかった。

そもそもそんな極限状態の中で子供なんか作ってられるか
生まれたところで育てられんわ、みたいなことを私も冷静に考えたりしたが、
神話的な思考で読むと、二人はアダムとイブで、人類のはじまりでもある。



最後のページをどう読み解くか、それは読み手次第であり、
ここに書いてあることは、私の個人的な考察である。

私にとって藤子作品は毎回読むたびに発見があって、
それは自分が歳をとったり、環境の変化によってもかわっていく。
特に短編集は歳をとるにつれて深く突き刺さることも。
誰かと共感したいなと思ってもなかなかうまくいかなかったりもする。
それでも大好きな作品のことは誰かと語りあいたかったりする。


私も大人になったな。。
と思わざるをえない、藤子短編集の考察。



2017.12.3

『米とりんご』

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 アップデイトダンスNo.39「米とりんご」
振付 勅使川原三郎  ダンス 鰐川枝里




鰐川枝里

というダンサーがいる。

彼女とはたまたま同級生だった。





暗闇の中、風がごうごうと吹く音が聞こえる。
目を瞑った時と同じ、本当の暗闇だ。
不安を煽るように、ただただごうごうと、音は鳴り続ける。

ステージにうっすらと光が差す。
仄暗い、本当にわずかな光だ。

その灯に照らされて、ひそやかにたたかいがはじまる。



私はこの公演を、半年前に一度観ていた。
その時の衝撃は、世界的な発見といってもいいような感覚だと思う。
あの、小さく細い体のどこに凄まじいエネルギーが詰まっているのかと
感嘆するばかりで、それと同時に、脆く、壊れそうなことに涙がでそうになる。
そしてそれはとても美しい、のだと観客は皆思うだろう。


聞き覚えのある童謡が無機質に流れ始める。
これは今までに見たことがない光景で、
おそらく異様だと思う。

童謡は一曲から、二曲、三曲と次々と重なり合って、
不況和音のようにミックスされる。
その全てを受けいれながら、彼女は踊り続ける。
何百本もの操り糸が見える。
私はそんな気がしていた。

まさに混沌である。

音楽が止まらなければ彼女は永遠に踊り続けるのじゃないのかと、
不安になりつつも、なんだかずっと観ていたいような
複雑な気持ちになる。

これが演出といわれればそうでしかないとは思う。
彼女そのものだと言われればそれもまたそう思う。


とても最小限の自己表現を全身全霊ですることが、
一番彼女を輝かせて、すべてを放出していく。


小さくてとても強い炎が中心にみえて、
絶対に消えないように燃えている。

美しいものは脆いのだと、
だからこそ美しいのだと、
なんだか昔から知っている気がする。



そして人の手というものは

光をあてるとほのかに光るということを
私はKARASの公演を何度かみて知った。

手のひらを太陽にかざしてみれば
真っ赤にながれる僕の血潮

という曲を思い出して、
あの光は体に血がめぐっているということなのだと、
生きているということなのだと改めて感じる。



若さなのか才能なのか、
おそらく言われたことがとても器用にできてしまうのか、
彼女のダンスには変な癖がないと、私は思う。
もちろん良い意味でそれはらしさだと思う。
素人の私がいうのも変な話であるが、
演技がうまいとか、たぶんそういう類の話に近い。

つまり、とても見やすくて、
音楽に合っていると感じる。
クラシカルなコンテンポラリーと
調和したポップさが心地よいと感じる。

私が彼女の同級生だから公演を観に行く。
とか、もはやそういうことではなくなっていることに私はそろそろ気が付く。

半年前、はじめてソロ公演を観た時に、
私はすでにもう一度観たいと感じてしまっていたのだ。
もう、彼女の魅力はまったくもってそれだけで存在していた。
知り合いだからとか、友達だからとか、そういうことでなく、
鰐川枝里という一人のダンサーとして、魅力を感じているのだと
気が付いた。

鰐川枝里
という素晴らしいダンサーがいて、
私は運がいいことにたまたま同級生だったのだ。



星が美しく輝くのは、
命を削りながら燃えているのだと、
小さい頃に習った。

漠然と日々の生活を送っていると、
そんなことも忘れてしまって
夜空の星を見上げても何も思わなくなったりする。

いざ、目の前でそれを突きつけられたら
立ちすくむしかできなくなって、
ただ受け入れるだけじゃもったいないと感じる。



ステージの上で彼女が大きく呼吸をする。

吸い付くように肋が浮かび上がって、
遠いところを見つめる表情を見える。

小さい体をめいっぱいに広げて、
大きく手を伸ばす。


その手は助けを求めているようにも見えれば、
水の中、もがき苦しんでいるようにも見えれば、
とても気持ち良く浮遊しているようにも見える。



たたかいが終わった後の彼女は、
いつも笑っている。
近くに立つと本当に小さくて細いことがわかる。
私はいつもなんと声をかけてよいのやら困る。
ありきたりな言葉で表現してよいほど簡単なものじゃないような気がして、
悶々としている。
驚くほど彼女が謙虚なので、どつきたくなるが
どつくど折れてしまいそうなのでどつかない。




炎が小さく強く燃え続けている間、
私はひそやかに観察しようと思っている。




2016.9.17

太陽

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入江監督の映画は、
なんだか不思議な映画だ。

どちらかというと感情移入はしない。
なんというか、ただひたすらに
「目撃」を繰り返してしまう。

物語がはじまっても
映像の向こう側の世界は日常で
みている私はなんだか取り残されているような気持ちで
客観的に向こう側をみている。
みさせられている。


引き画、そして長回し。
それは意図されたカット割りが
もたらす効果とは別のものを生み出す。

妙なリアリティが、
私を「目撃」してしまった気分にさせる。


詳細は決して見えてこないのに
確実に何が起こっているのかはわかる。

表情や個人にはフォーカスしないが、
その場所のかなしみやくるしみや叫びが私たちには伝わる。

ニュース番組みたいだな。

遠くで起きている地震や
同じ街の中で起きた事件を
私は知らない。

それでもそれは確かに起きていて、
それを見て私たちはかなしいな、
とか、つらいな、とか思っている。


ニュースでは知れなかった部分まで、この映画は教えてくれる。
誰にも知られず起こってしまった悲劇や結末まで。

やっぱりかなしいな。
私はそう思ってみていた。








『リップヴァンウィンクルの花嫁』

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「リップヴァンウィンクルの花嫁」(2016)/岩井俊二



失礼ながら私は岩井俊二監督の作品があまり好きではない。

それはなんというか、本質的には意味は違うのかもしれないけれど、
私が好きになりたくないというようなそういう意味である。

作品として悪いと思っているわけではない。
ただ、辛いのだ。



『リップヴァンウィンクルの花嫁』
この映画は直感的に観たいと思った。
そして観たのである。



単刀直入にいうと、
私はこの映画に魅入ってしまった。
辛かっただろうか。確かに辛かったかもしれない。
結局おしゃれな雰囲気ものの映画が好きなのね、
と言われたとしても、それ以外の言葉でなんとなくカテゴライズされたとしても、
私にとってこの映画はよかったし、その気持ちはむしろ大事にすべきである。


きっと私と同じように感じた人はたくさんいるだろうし、
逆にその反対もいるだろうと思う。でもそんなことはもはやどうでもよい。


内容に関して深く掘り下げるとか、粗探しをするとか、
まだそこまで気持ちは到達していない。
つまりは、どこがよかったかと言われてもはっきりとは答えられない。


いま少しずつ反芻しながら、思い返している。

180分という映画にしては長すぎる尺をどう物語にするのかと考えていたことすらも、
少し忘れて没頭してしまっていた。
確かに、少し長いと感じた部分もあったが、
それは監督の被写体への愛であると思えば大した長さではない。



パンフレットのインタビューに書いてあったように、
「映画は元々虚構である。この映画はさらにその中に虚構を積み重ねている。」

黒木華さんのインタビューでは
七海と自分の境界がなくなって混乱した、というようなことが書いてあって

Coccoのインタビューには
監督がかいた台詞は私自身の言葉そのものでしかないから
演じることになんの抵抗もない、というようことが書いてある。


役者と登場人物の境界をなくしてしまう監督のあてがきの脚本。


私はたしかに何が本当なのかわからなくなって、
不確かな気持ちのまま、登場人物たちを観察している。

新しく起きるそのすべてから目が離せないし、動揺する。

内容は非日常的で共感できるわけではないけども、
どこかで本当に起きているような気もする。

そしてそれは残酷で、とても美しい。


本気でやっているのか遊びでやっているのか、
冗談めいた演出には思わず笑ってしまうし、おそらく本気で遊んでいるのだろうと思う。


どこがよかったのか、それを言葉にするのも少し嫌な気持ちもあるが、
やはり、真白の母の元を訪れたシーンは突き動かされるものがあった。

得体のしれなかった間宮という男がはじめて感情的になる。
ひとつのキッカケから3人のなにかがボロッと壊れて、泣いて、笑う。
気が付いたら私も泣いて、笑っている。
すべての人が真白を愛している。



SNSで出会って別れた男のことなんて、観終わった後にはすっかり忘れていて、
きっと七海もそうだったのではないかとラストシーンの、表情を思い出す。


結局一体なにが本当だったのか、
わからない。


でもよくよく考えてみたら
そんなことだらけだし、それでいいだと思う。


なんとなくの正解を探すよりは、
少し流されながらいつのまにか手に入れている答えがあってもいいのかもしれない。



2016.3.31



『バケモノの子』(2015)

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『バケモノの子』(2015)/細田守


細田守監督作品がなぜか好きになれなかった。
やりたいことが先走り、細部の感情をすっとばしているように思えていた。
あくまでファンタジーだから細かいリアリティーは必要ない。

たしかにそういわれればそうだ。
物語で描かれない部分は補完して考える事も出来る。
もちろんすべてを丁寧に描く必要もない。
ただなんとなく雑な気がしていたのだ。

『バケモノの子』をきっかけにそんな考えを見直すことになりそうだ。

よく見かけるようなことを言ってしまうが、
物語は予定調和的な展開を持っている。

人間の男の子が日常から非日常世界へ迷い込み、成長していくお話だ。

ただ思っている以上にそれだけではない。
「ごちゃついている」と言われるように要素が多い。
しかしそれがこのお話の大事な部分であると思う。

物語のきっかけは「人の心の闇」である。
孤独、憎悪、哀しみ
蓮(=九太)は幼いながらにその闇に直面してしまう。
自分以外、自分すらも受け入れられず一人で生きていこうとするが、
異世界と邂逅することにより道を拓く。

熊轍との出会いは九太のカラダとこころの成長させた。
正直、九太は性格のよい主人公ではない。
かなりわがままで自分勝手である。
それは強く成長しても変わらなかった。

渋天街で8年の歳月が過ぎ、
たくさんの仲間に恵まれ立派に成長した九太であったが、
目標としていた強い自分になれたものの、
精神的には満たされていなかった。
両親への想いや人間として自己は忘れられなかった。

それが、ふとしたことで人間界へ戻り一気に高まっていく。

人間としての自分を取り戻したい、再生をのぞむ九太に対して、
人間としての自分を恨み人間自体が憎悪に変わっていくのが一郎彦である。


二人の闇は全く違うようにみえて同じものだ。
きっと、それは細田監督自身が抱えた闇でもある。
「孤独」というものはどんなに才能があっても、技術をもっても、
誰にでもおとずれる可能性をもった闇だ。
信じることができないとき、特にその闇はやってくる。

目標としていた強さは、いつのまにか、憎しみを増幅する力となってしまう。
鯨を追うことに盲目になるあまり、周囲を顧みず、人を傷つけ、そして自分自身が鯨という闇に取り込まれる。


一郎彦は鯨に取り込まれたもう一人のキュウタの象徴だ。


自分の存在について、何者かというアイデンティティを確立できないでいるのは
私たちに対する問いであり、きっと監督自身が抱える問題そのものでもある。
失ってしまった母、記憶の中にしかいなかった父がいる現実、
バケモノとして育てられた人間、


物語の最後、光が見えるのは、
監督自身がそれを求めているからだろうか。



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『バケモノの子』を観た日、たまたまガラスの話をした。

「昔みたアニメでさ、」

当時「おジャ魔女どれみ」のある回で「ガラスが実は動いている」という話があった。
私の中でその回が印象的で忘れられずにいた。
そして今日、たまたまその回の演出が細田守と知る。

知らない間に、同じ人から全く別の影響を受けている。
そのときとは、作った本人も私自身も変わっているのだろうに。







天使の墓

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「また、お墓が増えましたね。」

白い服をきた少年が言った。

「このままだと、増え続ける一方ですね。」

少年は、隣にいる白い髭を生やした老年の男性に向かってそう言った。

「なぜこんなことをするのでしょうか?」

男性は特に表情を変えずに答えた。

「石はとても、記憶力がいい。」

「なるほど。」


少年の背中には真っ白な翼が生えていた。