Twitterにこんなブログがまわってきた。
はてなブログに投稿しました 突然ですが、私は「左利き」が異常に好きです
- それは恋とか愛とかの類ではなくて
はっとした。
私もまさにこれだから。
同じ空間にいる人が“左利き”と気付いた瞬間に少しどきっとする。
「あ、あの人“左利き”だ。」そうひそかに思っている。
おそらく“左利き”に関しては一般的な感覚より敏感であると思う。
“左利き”であるだけでなんとなくその人は美化されてしまう。
いいなと思った人が“左利き”だったら「やっぱり!」で+5
なんでもない人が“左利き”でも「あ、あの人左利きだ。」で+2
ちょっと嫌いなやつが“左利き”だったらマイナスポイントを相殺できるくらいのパワーは持っている。
どうしてこんなにも“左利き”に惹かれるのだろうか。
“左利き”が好きな理由を少し考えてみる。
ひとつは、ないものねだりだ。
自分にないものをもっている人への憧れ。
自分にはできないことができることへの羨望。
もうひとつは、大多数とは異なっていること。
“左利き”はいわゆる少数派である。
ふつうとは違うんだぞ、というレア感。
さらにもうひとつ、好きな人が“左利き”だった。
なんてこともあるかもしれない。
“左利き”に憧れていた私はあるとき母にこういった事がある。
「どうして“左利き”に育ててくれなかったの」と。
そしたら意外にもすごい剣幕で怒られてしまって、言わなきゃよかったと後悔したものだ。
“左利き”という少数派は人と違うということで
ある時代には差別的な扱いを受けていたこともある。
右利きに強制され、“左利き”はなかったことにされた。
10人に1人くらいはみかけるようになった“左利き”の存在。
前述のブログの通り“左利き”に「萌え」を感じる人、憧れている人は
案外多かったりするのではないだろうか。
題目にした「左利き選手権」は
そんな“左利き”に対する熱い想いを映像化しようと、
大学のときに思いついたお話である。
〜あらすじ〜
とかいって書かないけれども、
“左利き”っていいよねという話に違いない。
中学生のときに毎週通っていたジャスコのゲームコーナーのお兄さんが
“左利き”だったなんてことはとうの昔のお話である。
左利き選手権
This entry was posted on 2014-11-15. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response.