ふと死んだ友人の言葉を思い出した。
「100人いたらその中のたった1人がいいっていってくれるくらいでいい」
という言葉だ。
そのときはおそらく、その言葉にさして興味もなく、
そしておそらくはわたしはそれじゃ嫌だと思ったと思う。
わたしはできれば100人いたらすくなくとも半分くらいはいいといってほしい。
そうじゃない作品は人前に晒したくないとそんなこと思っていたかもしれない。
もはやそのこと自体はどうでもいい。
だって当たり前のことだから。
いまのわたしがあのときのあの子に追いついたのかなって思ったのだ。
私の思考があのときのあの子に重なったのかなって思ったのだ。
別に優劣の話ではない。
ただ、こんな気持ちだったのかなって思っただけだ。
自分自身の言葉や作品を人前に晒すことに対して、
そういうのは自己防衛であるけど、その自己防衛は晒す勇気を持った証拠でもある。
そして自分の作品をきちんと省みている証拠でもある。
できたらそれでいい、ということではない、ということだ。
自分の作品は批判されて成長する。
そうでなければ自分のための作品になってしまう。
全部そういうことをひっくるめて、思い出したのだ。
思考
This entry was posted on 2014-09-04. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response.