Archive for 11月 2012

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求めないことでわたしは強くなる
気付かないことでわたしは強くなる
知らないことでわたしは強くなる
演じることでわたしは強くなる

心臓はだんだんまあるくなって何も感じなくなる


地獄がわたしを望むなら、よろこんで飛び込もう
嘘をついた代償といっしょに





mimico.

『あの娘が海辺で踊ってる』

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『あの娘が海辺で踊ってる』/山戸祐希(2011)





監督、年下、大学生。
内容とか関係なく刺激を受けないはずがない作品だった。

本編が始まってからしばらくはがっかりしていた。
いまどきの学生映画じゃないか、という感じでこの程度か、と思っていた。

上映が終わり、謎のパフォーマンスと中森明夫のトークショーを終えて
帰りの電車の中でずっと思っていた。強い衝動だった。


彼女たちをバカバカしいと思うことは簡単だ。
でもそうは思わない。

「映画未満」だ、と言われるように、
映画としての機能をこの作品が果たしているかといったらそうではない。
しかしなぜこの映画が評価されるのか。
それはきっと作り手に可能性を感じるからだと思う。
「こいつら、おもしろい」
と思わせる力があるんだと思う。
それはとても悔しいこと。
でも見習うべきこと。
馬鹿にするのは簡単だ。
否定することは受け入れることよりもずっと簡単だから。

映画はあくまでもキッカケで、
彼女たちが会場で配っていた「あの娘新聞」やパフォーマンスすべて
形にしてしまうことが彼女たちの力。認めざるを得ない。



もう一度、映画を撮ろう。
私は映画を見ている途中から、帰りの電車もずっとそう思っていた。
そう思わせてくれる作品だった。




mimico.

『演劇1』『演劇2』

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『演劇1』『演劇2』(2012年)/想田和弘





監督が平田オリザにワイヤレスマイクを渡す。
そのマイクが服とすれて聞こえてくるノイズからこの映画ははじまる。
「これでいいですか?」
ドキュメンタリーのはじまりだ。




想田監督の「観察映画」を夢中で観てしまうのは
あまりにも音がきれいに整音されていることが大きい。
激しく動く手ブレのカットでも、音だけはしっかり追って途切れることはない。
音にカットのつなぎ目が見えない。
しかし、突然映画は無音になる。
映画館はゴオーっという空調の音だけに包まれる。
すると私たちは映像に吸い込まれるようにスクリーンを見つめる。
そこだけに集中している。
すっかりやられてしまっている。
ノイズらしいノイズは映画のはじまりだけだった。



平田オリザは淡々と自論を語る。
劇中にもあったように「理路整然」と。
それが私たちには当たり前のように感じるが、
あれほどわかりやすく、納得できるように話すことは本来難しい。
それは平田オリザが教育者として、
全国のさまざまな年齢層に対して数え切れないほどのワークショップを開いてきた結果であろう。
言葉を選び、人に伝えることに長けている。
こう返せば、相手がこう出てくるというのもある程度理解しているのだろう。
もしかすると彼のしゃべっていることは、
相手との会話も含めてすべて台本なのかもしれない。



常にノートパソコンを持ち歩いて、台本と演技を照らし合わせている姿が印象的だ。
彼は何を想い台本を書いて、何を想い演出をつけるのか。
劇作家として、経営者として、講師として、父親として、
平田オリザは何役もを演じている。そこにあまり境目はみえない。
しかし、やはり彼も人間なんだよと思い知らされる。
ロボットも眠る。


この5時間42分は、無駄にならないはず。



mimico.