本当は前に進みたくないのに、もう
私はそういうベルトコンベアみたいなレールにのっかって
流れていく。戻れないところまで。
もうここからいなくなった
私が好きだった人たち
さよなら
とても逢いたいです。
mimico.
紐
文化庁メディア芸術祭
国立新美術館で開催されている文化庁メディア芸術祭へ。
昨日は会田誠展へ行ったので二日続けての六本木。
平日だけどそれなりに人はいた。
入場無料ということも大きい。
作品郡のレベルは高く、展示の質もよい。さすがという感じ。
今年はじめて足を運んだので例年の作品はわからないが、
全体的に映像を媒体にした展示が多くて非常に勉強になる。
311を題材にした作品も多かった。
BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW/SOL CHORD(前田 真二郎/岡澤 理奈)
はある指示書を元に32人のクリエーターが作品を制作している。
誰でも表現できるし、どんな日常も作品になりうるのだ。
BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW/SOL CHORD(前田 真二郎/岡澤 理奈)
はある指示書を元に32人のクリエーターが作品を制作している。
誰でも表現できるし、どんな日常も作品になりうるのだ。
インスタレーションの中で一番大規模で非日常的な空間であったのが
「欲望のコード」/三上晴子
の展示。これに関しては「すごい、」としか言えない。
制作過程のすべてにおいて私の理解の範疇を超えるものである。
おそらく文章や解説だけでは理解できるものではないため
ぜひ会場で作品を体感してほしいと思う。
「ほんの一辺」/佐野 友紀(日本)
My Sputhik/古屋和臣(日本)
絵画や写真などに比べると、アプリやウェブの拡張機能などといったものが目立った。
写真や映像媒体に関して、勝手に最近のトレンドを推測すると、
「浮遊」というテーマが浮かんでくる。
「浮遊」というテーマが浮かんでくる。
永野亮「はじめよう」/新井 風愉(日本)
林ナツミの「本日の浮遊」がブームのはじまりか?
「跳ばずにはいられないっ!」にはやられた、という感じである。
近年はSNSや映像メディアの進化で、アイデア勝負な作品も多いように思うが、それにはもちろん技術が伴わないと成立しない。クリエイターは皆努力家なのであることを思い知らされる。なんとなくでは評価されない。
彼らにとってはものづくりのすべては日常であるから、努力という言葉とも少し違うかもしれない。
まだまだ未熟な私は、表現者への葛藤がつきまとうのである。
まだまだ未熟な私は、表現者への葛藤がつきまとうのである。
mimico.
『報道の魂 あの時だったかもしれない』
『報道の魂 あの時だったかもしれない』/是枝裕和(2008)
———座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル
テレビっ子であり、映像制作に関わる仕事をしている私にとって、
この作品は目からうろこ、というか自分の勉強不足と若さを思い知るというか
とにかく、すべてが興味深くておもしろかった。
村木良彦と萩元晴彦というふたりの演出家の存在を私は今日はじめて知った。
あるいは学校の授業なんかで名前は聞いたことがあったかもしれない。
けれども頭には残っていなかったし、テレビ番組の成り行きについては
あまり考えたことがなかった。
幼い頃なんとなく将来はテレビに関わる仕事がしたいと思っていた。
でもある時からそんなことも忘れていた。
だから業界について勉強もしなかったし、知識も乏しかった。
このドキュメンタリーの中で村木と萩元が制作したTBSの番組が出てくる。
『あなたは…』という印象的なタイトルのこの作品は
「あなたは今幸せですか?」「あなたは人に愛されてると感じますか?」
「あなたは誰ですか?」などといった17の質問を東京の街で老若男女に問う
といったドキュメンタリー番組だ。無機的に質問する女性インタビュアーは
まるで機械のようにみえる。それも狙いのひとつだったらしい。
当時の視聴率は日曜深夜の放映時間だったにも関わらず11%
賛否両論だったとはいえとんでもない人気を持っていたのだろう。
とにかく、この二人のつくる番組がおもしろくかっこいい。
とても斬新で、それはテレビと人間の本質を問うようなものであったように思う。
メディアを媒体した「時間」というものの感覚をとても意識してつくられた
彼らのドキュメンタリー番組は今観てもまったく色あせていない。
むしろ今こういう番組をつくってほしい。つくりたい。と感じさせてくれる。
作品観賞後の質疑応答で、是枝監督が
「時代のせいではなくて、やろうとする人がいないだけだ」
と言った。現在のテレビ番組に対する答えだ。
確かに、メディアの規制は厳しい。
アートは「わいせつ」だといわれるし、恋をしたら坊主にしないとならない。
誰もが疑問を持っているはずなのに、どこからか間違った正しさを植え付けられる。
出る杭は打たれるが、出ない杭は打たれない。打たれたくない。
そういった見えない力が、才能も勢いも消してしまっている。
だからこそ闘っているひとたちの作品はおもしろいのだろう。
村木と萩元は番組に対する抗議から結果的にTBSを辞めることになる。
メディアの大きな力に屈したのだ。しかしそれは彼らにとって負けではないと思う。
その後、彼らはテレビマンユニオンを設立する、ということも今日知ることになったが、
今日の話をなるほどと頭の中で整理して、もう一度是枝監督の作品を思い返せば
なるほどなるほど、と納得できるものがある。つながっている、と。
若者が希望を持って映像業界に飛び込んでいく。
大半はやめていく。
それは我慢か才能か努力か。
おそらくすべてであるが、生き残れる”なにか”があることには違いない。
まだまだ勉強不足だと思い知った。
生き残るために。
mimico.
『東京家族』
田舎の島を出て、東京で暮らす三人の兄弟。
長男(西村雅彦)と長女(中嶋朋子)は家庭を持ち、
次男(妻夫木聡)は一人暮らしで、それぞれ暮らしている。
そこに突然、島から歳をとった両親(橋爪功、吉行和子)が訪ねてくることになった。
三人の兄弟は両親を迎え入れる準備をし、
両親も子供たちの暮らしぶりをみることができて安心するが
東京に慣れず居場所のなさを感じるふたりであった…。
これまでの人生とこれからの人生をみてしまったような、
この、なんともいえない虚無感は、多くの人も感じているのだろうか。
それとも、私の家はもっと幸せです。とか私の家はもっと不幸です。って言うだろうか。
生まれて、家族がいて、歳をとって、結婚して、子供を産んで、老いて、
死んでいくこの当たり前を、受け入れることができなくても、
私たちはどうしたって経験するのだから、この映画からは目を背けられないのだ。
結婚も出産も葬式も、自分の身におこらなくても必ず身の回りでおこっている。
歳をとるとだんだんとその数も増える。
最後には親を看取る。
はたまた自分も看取られる日が来る。
老いなくても、健康でも、二年前のあの日のように
突然すべてがなくなるときもある。
老いなくても、健康でも、二年前のあの日のように
突然すべてがなくなるときもある。
いくら悲しくても人は死ぬ。
それだけはわかる。
81歳の山田洋次監督にはなにがみえているだろうか。
映画館には年配の方もたくさんいて、監督の長い映画人生を思って感銘を受けた。
大切なひとができたらもう一度、子供ができたらもう一度、
老いて死ぬ前にもう一度、この映画を観てみよう。
私にとって大事な一本。
ここは東京、
mimico.
『映画 鈴木先生』
『映画 鈴木先生』/河合勇人(2013)
「鈴木先生」はひとりの人間の中にいる何人もの自分の存在を再認識させてくれる。
不埒な妄想も、口には出せない欲望も、葛藤も苛立ちも、あってよいのだと教えてくれる。
学生時代、閉鎖的な世界での人間関係や、
大人になったつもりの大人たち、大人になれない大人たち、
気付いているのにどうしようもない社会の理不尽
そういったものが客観的に描かれていてあらためて考える。
考えても解決しないことばかりの世界だ。
それでもこの世界で生きていかなければならないのならどうするか。
アルジェリアで日本人が死んだ。
明日、電車でとなりに乗った人に刺されるかもわからない。
それは防ぎようもない。きっと。
そういう世界。
だけどその中でも生き甲斐や素晴らしいことはあるよねっていうのが「鈴木先生」の締め。
エンドロールも飽きない工夫がされていてよかった。
言葉にできないもやもやしたものを代弁してくれる素晴らしい映画である!
mimico.














