Archive for 3月 2016

『リップヴァンウィンクルの花嫁』

No Comments »


「リップヴァンウィンクルの花嫁」(2016)/岩井俊二



失礼ながら私は岩井俊二監督の作品があまり好きではない。

それはなんというか、本質的には意味は違うのかもしれないけれど、
私が好きになりたくないというようなそういう意味である。

作品として悪いと思っているわけではない。
ただ、辛いのだ。



『リップヴァンウィンクルの花嫁』
この映画は直感的に観たいと思った。
そして観たのである。



単刀直入にいうと、
私はこの映画に魅入ってしまった。
辛かっただろうか。確かに辛かったかもしれない。
結局おしゃれな雰囲気ものの映画が好きなのね、
と言われたとしても、それ以外の言葉でなんとなくカテゴライズされたとしても、
私にとってこの映画はよかったし、その気持ちはむしろ大事にすべきである。


きっと私と同じように感じた人はたくさんいるだろうし、
逆にその反対もいるだろうと思う。でもそんなことはもはやどうでもよい。


内容に関して深く掘り下げるとか、粗探しをするとか、
まだそこまで気持ちは到達していない。
つまりは、どこがよかったかと言われてもはっきりとは答えられない。


いま少しずつ反芻しながら、思い返している。

180分という映画にしては長すぎる尺をどう物語にするのかと考えていたことすらも、
少し忘れて没頭してしまっていた。
確かに、少し長いと感じた部分もあったが、
それは監督の被写体への愛であると思えば大した長さではない。



パンフレットのインタビューに書いてあったように、
「映画は元々虚構である。この映画はさらにその中に虚構を積み重ねている。」

黒木華さんのインタビューでは
七海と自分の境界がなくなって混乱した、というようなことが書いてあって

Coccoのインタビューには
監督がかいた台詞は私自身の言葉そのものでしかないから
演じることになんの抵抗もない、というようことが書いてある。


役者と登場人物の境界をなくしてしまう監督のあてがきの脚本。


私はたしかに何が本当なのかわからなくなって、
不確かな気持ちのまま、登場人物たちを観察している。

新しく起きるそのすべてから目が離せないし、動揺する。

内容は非日常的で共感できるわけではないけども、
どこかで本当に起きているような気もする。

そしてそれは残酷で、とても美しい。


本気でやっているのか遊びでやっているのか、
冗談めいた演出には思わず笑ってしまうし、おそらく本気で遊んでいるのだろうと思う。


どこがよかったのか、それを言葉にするのも少し嫌な気持ちもあるが、
やはり、真白の母の元を訪れたシーンは突き動かされるものがあった。

得体のしれなかった間宮という男がはじめて感情的になる。
ひとつのキッカケから3人のなにかがボロッと壊れて、泣いて、笑う。
気が付いたら私も泣いて、笑っている。
すべての人が真白を愛している。



SNSで出会って別れた男のことなんて、観終わった後にはすっかり忘れていて、
きっと七海もそうだったのではないかとラストシーンの、表情を思い出す。


結局一体なにが本当だったのか、
わからない。


でもよくよく考えてみたら
そんなことだらけだし、それでいいだと思う。


なんとなくの正解を探すよりは、
少し流されながらいつのまにか手に入れている答えがあってもいいのかもしれない。



2016.3.31